2007.11.01 (Thu)
エリーゼのためにの「E」
ベートーヴェンの曲で知っている曲は?と尋ねられたら、
たいていの人が答えるのは「運命」と「エリーゼのために」ではないでしょうか?
ミ レ♯ ミ レ♯ミ シ レ ド ラ〜で始まる超有名ピアノ曲「エリーゼのために」
本当はエリーゼさんのためでなくテレーゼさんのためというのが今の通説です。
この辺のことは、ドルチェさんが、「エリーゼのためには誰のため?」という記事を書いていますので、こちらをどうぞ→クリック
先日、アシュケナージのCDで「エリーゼのために」を聞いてから、
どうしても音の違うのが気になって、
買ってしまいました。ヘンレ版高かった・・・

どこが気になったかというと、テーマの最後のところ
ミ レ♯ ミ レ♯ミ シ レ ド ラ| ド ミ ラ シレド シ ラになっているの。
全音版とかは、曲の最後から2小節目は「レ」だけれど、初めと中のテーマはどれも 「ミ」 なのです。
で、ヘンレ版を恐る恐る(?)開いてみると、
わ〜やっぱりアシュケナージといっしょ「レ」になっている。!
どうして、日本で売り出されているのは「ミ」なのだろう?といろいろ調べたら、
Musikverlag Doblinger出版の 1983年発行と
EMBというブダペストの出版のものは「ミ」
同じMusikverlag Doblinger出版でも2002年発行のものや
Peters版は「レ」でした。
外版もいろいろ。でも、日本版のように「ミ」で統一されていません・・・
う〜〜ん
ベートーベンさん、あまりの悪筆のせいかしら・・・
でも、アシュケナージ様はこの版を使って弾いていたのね。っと思いながらCDを聞いていたら、あれ?Bの部分のターンが入ってる。
(ヘンレ版にはないのだ)
それから、全音と違う和音が一か所。
74小節目の3拍目の八分音符の和音。全音はレファソ♯ヘンレはレミソ♯
これについてはヘンレ版に注釈が書いてあって(ドイツ語でね・・・)
「原典版では確定できないのにファになっていた」とのこと。
アシュケナージさまはもちろん「ミ」を弾いています。
では、自分で演奏するならどの版のどの音を選ぶか・・・・?
それをあれこれ考えて、ベートーベンを思うのも、また楽しみのひとつかしらね。
そういえば、2005年のショパンコンクールの規定書第10項に
「ショパンの作品の出版されているすべての版の楽譜使用が許されているが、参加者はヤン・エキエル教授による校訂のナショナル・エディション、フレデリック・ショパン全集の原典版を推奨されている」という記述がありました。
世界にいろいろなコンクールがあるけれど、使用楽譜を規定したコンクールってあったかしら?
でも、今回入賞した6人の演奏者のうち、おもにエキエル版を使っていたと思われるのは
3位になった、イムドンミンと6位のリー・カ・リン・コリンだけで、
第1位のラファウ・プレハッチは演奏の底本にしていたのはパデレフスキ版で、
曲によってはエキエル版も考慮にいれて演奏していたらしいと聞きました。
どの版を選んで弾くにしても、校訂報告や注釈をきちんと読んで、
納得した上での選択、共感を持っての演奏であるべきなんだな〜と思います。
さて、 「エリーゼのために」あなたなら「ミ」(E)の音?「レ」(D)の音?どちらを選びますか?
この一音「E]のために5355円払った、あるまんどでした。
たいていの人が答えるのは「運命」と「エリーゼのために」ではないでしょうか?
ミ レ♯ ミ レ♯ミ シ レ ド ラ〜で始まる超有名ピアノ曲「エリーゼのために」
本当はエリーゼさんのためでなくテレーゼさんのためというのが今の通説です。
この辺のことは、ドルチェさんが、「エリーゼのためには誰のため?」という記事を書いていますので、こちらをどうぞ→クリック
先日、アシュケナージのCDで「エリーゼのために」を聞いてから、
どうしても音の違うのが気になって、
買ってしまいました。ヘンレ版高かった・・・


どこが気になったかというと、テーマの最後のところ
ミ レ♯ ミ レ♯ミ シ レ ド ラ| ド ミ ラ シレド シ ラになっているの。
全音版とかは、曲の最後から2小節目は「レ」だけれど、初めと中のテーマはどれも 「ミ」 なのです。
で、ヘンレ版を恐る恐る(?)開いてみると、
わ〜やっぱりアシュケナージといっしょ「レ」になっている。!
どうして、日本で売り出されているのは「ミ」なのだろう?といろいろ調べたら、
Musikverlag Doblinger出版の 1983年発行と
EMBというブダペストの出版のものは「ミ」
同じMusikverlag Doblinger出版でも2002年発行のものや
Peters版は「レ」でした。
外版もいろいろ。でも、日本版のように「ミ」で統一されていません・・・
う〜〜ん

ベートーベンさん、あまりの悪筆のせいかしら・・・
でも、アシュケナージ様はこの版を使って弾いていたのね。っと思いながらCDを聞いていたら、あれ?Bの部分のターンが入ってる。
(ヘンレ版にはないのだ)
それから、全音と違う和音が一か所。
74小節目の3拍目の八分音符の和音。全音はレファソ♯ヘンレはレミソ♯
これについてはヘンレ版に注釈が書いてあって(ドイツ語でね・・・)
「原典版では確定できないのにファになっていた」とのこと。
アシュケナージさまはもちろん「ミ」を弾いています。
では、自分で演奏するならどの版のどの音を選ぶか・・・・?
それをあれこれ考えて、ベートーベンを思うのも、また楽しみのひとつかしらね。
そういえば、2005年のショパンコンクールの規定書第10項に
「ショパンの作品の出版されているすべての版の楽譜使用が許されているが、参加者はヤン・エキエル教授による校訂のナショナル・エディション、フレデリック・ショパン全集の原典版を推奨されている」という記述がありました。
世界にいろいろなコンクールがあるけれど、使用楽譜を規定したコンクールってあったかしら?
でも、今回入賞した6人の演奏者のうち、おもにエキエル版を使っていたと思われるのは
3位になった、イムドンミンと6位のリー・カ・リン・コリンだけで、
第1位のラファウ・プレハッチは演奏の底本にしていたのはパデレフスキ版で、
曲によってはエキエル版も考慮にいれて演奏していたらしいと聞きました。
どの版を選んで弾くにしても、校訂報告や注釈をきちんと読んで、
納得した上での選択、共感を持っての演奏であるべきなんだな〜と思います。
さて、 「エリーゼのために」あなたなら「ミ」(E)の音?「レ」(D)の音?どちらを選びますか?
この一音「E]のために5355円払った、あるまんどでした。
2006.12.16 (Sat)
ハッピーバースデー ベートーベン
1770年12月16日 今から236年前の今日、
ベートーベンはドイツのボンの屋根裏部屋に生まれました。
余談ですが、その一年前にナポレオンが生まれています。
どの本を読んでも、父親ヨハンは良いことが書かれていませんね。
「酒飲み」であり「短気」「生活力がない」「息子を大儲けの財産にしたいとたくらんでいた」と・・・
母親マリアに関しては、本によってちがいます。
一度も笑わなかった、ベートーベンは母親の笑顔を見たことがなかった、
父親から息子を守ろうとしなかったとする記述と、
酒飲みの父親に無理な練習を強いられる時、
母親マリアが優しく励ましてくれたとする本があります。
どちらが本当かはわかりませんが、個人的には、あのベートーベンの性格から見ても、
母親が笑わなかったのではないかと思います。
それは母親が悪いのではなく、
彼女は、でたらめな夫に耐えて生きていくのが精一杯だったのでは?と思います。
でも、ベートーベンにとっては、愛するお母さんであったから、
お母さんが病床に伏したとき、ウィーンからボンに急いで帰ったのでしょう。
5年くらい前にNHKの「お母さんといっしょ」で
「ベートーベンのおばあちゃん」という歌が放送されていました。
こんな歌です。
子供の頃ベートーベンは音楽なんて好きじゃなかった
ピアノ弾くよりドリブルやパス、サッカー選手になりたかった
ベートーベンのおばあちゃんは孫に音楽やらせたかった
こっそりボール、パンクさせて彼をピアノに縛りつけた
ドレミファソラシドドシラソファミレド
泣き泣きピアノを弾くベートーベン、先生は厳しいおばあちゃん
あなたがしごいてくれたから
僕たちは彼の素晴らしい「運命」や「エリーゼのために」
今も聞く事ができるのです
今も聞く事ができるのです
遊びたくてもベートーベンは一日ピアノ友達はゼロ
だから無口で暗い性格
いつか笑顔を忘れちゃった
なんて哀しい運命なんだ
彼の涙はピアノに落ちる
落ちた涙でピアノが鳴り、できたメロディそれが運命
ドレミファソラシドドシラソファミレド
天才作曲家のベートーベン
育てたのは彼のおばあちゃん
あなたがしごいてくれたから
僕たちは彼の素晴らしい「運命」や「エリーゼのために」
今も聞く事ができるのです
今も聞く事ができるのです
世界中が知ってるベートーベン
だけど誰も知らない彼のおばあちゃん
あなたがいたから彼の素敵な音楽が今でも生きてる
歌おうよさあ感謝の唄を
ほんとにほんとにありがとう
ほんとにほんとにありがとう
実際、ベートーベンのおじいちゃんルードビッヒ(ベートーベンと同じ名前)は音楽家で
ボン選帝侯宮廷楽長また、ワイン販売業(だから、息子のヨハンは飲んだくれ?)ではありましたが、
おばあちゃんについては???マリア・ヨゼファという名前しかわかりません。
この歌詞はお遊びだと思った方が良いのですが、
この歌が流行った時、何人かの幼稚園生に、
「ベートーベンはおばあちゃんに音楽を教わった」と聞きましたから、
そのたびに、「う〜ん・・・・???」と、うなってしまいました。
どなたか、おばあちゃんのことご存知の方いらしたら教えてください。
ベートーベンはドイツのボンの屋根裏部屋に生まれました。

余談ですが、その一年前にナポレオンが生まれています。
どの本を読んでも、父親ヨハンは良いことが書かれていませんね。
「酒飲み」であり「短気」「生活力がない」「息子を大儲けの財産にしたいとたくらんでいた」と・・・
母親マリアに関しては、本によってちがいます。
一度も笑わなかった、ベートーベンは母親の笑顔を見たことがなかった、
父親から息子を守ろうとしなかったとする記述と、
酒飲みの父親に無理な練習を強いられる時、
母親マリアが優しく励ましてくれたとする本があります。
どちらが本当かはわかりませんが、個人的には、あのベートーベンの性格から見ても、
母親が笑わなかったのではないかと思います。
それは母親が悪いのではなく、
彼女は、でたらめな夫に耐えて生きていくのが精一杯だったのでは?と思います。
でも、ベートーベンにとっては、愛するお母さんであったから、
お母さんが病床に伏したとき、ウィーンからボンに急いで帰ったのでしょう。
5年くらい前にNHKの「お母さんといっしょ」で
「ベートーベンのおばあちゃん」という歌が放送されていました。
こんな歌です。子供の頃ベートーベンは音楽なんて好きじゃなかった
ピアノ弾くよりドリブルやパス、サッカー選手になりたかった
ベートーベンのおばあちゃんは孫に音楽やらせたかった
こっそりボール、パンクさせて彼をピアノに縛りつけた
ドレミファソラシドドシラソファミレド
泣き泣きピアノを弾くベートーベン、先生は厳しいおばあちゃん
あなたがしごいてくれたから
僕たちは彼の素晴らしい「運命」や「エリーゼのために」
今も聞く事ができるのです
今も聞く事ができるのです
遊びたくてもベートーベンは一日ピアノ友達はゼロ
だから無口で暗い性格
いつか笑顔を忘れちゃった
なんて哀しい運命なんだ
彼の涙はピアノに落ちる
落ちた涙でピアノが鳴り、できたメロディそれが運命
ドレミファソラシドドシラソファミレド
天才作曲家のベートーベン
育てたのは彼のおばあちゃん
あなたがしごいてくれたから
僕たちは彼の素晴らしい「運命」や「エリーゼのために」
今も聞く事ができるのです
今も聞く事ができるのです
世界中が知ってるベートーベン
だけど誰も知らない彼のおばあちゃん
あなたがいたから彼の素敵な音楽が今でも生きてる
歌おうよさあ感謝の唄を
ほんとにほんとにありがとう
ほんとにほんとにありがとう
実際、ベートーベンのおじいちゃんルードビッヒ(ベートーベンと同じ名前)は音楽家で
ボン選帝侯宮廷楽長また、ワイン販売業(だから、息子のヨハンは飲んだくれ?)ではありましたが、
おばあちゃんについては???マリア・ヨゼファという名前しかわかりません。
この歌詞はお遊びだと思った方が良いのですが、
この歌が流行った時、何人かの幼稚園生に、
「ベートーベンはおばあちゃんに音楽を教わった」と聞きましたから、
そのたびに、「う〜ん・・・・???」と、うなってしまいました。
どなたか、おばあちゃんのことご存知の方いらしたら教えてください。
2006.12.03 (Sun)
第九
最初の記事を何にしようかな〜?と
考えていましたが・・・
やはり、師匠も走る師走といえば、
「第九」ですよね。
これは、日本だけの現象?でしょうか?
ウィーンで年末に「第九」は聴いたことなかったです。
もっとも、オペラハウスに入り浸っていましたから・・・
よく12月に聴いたのは歌劇シュトラウスの「こうもり」
この話は、また今度ゆっくり・・・
第九のお話です。
ベートーベンの交響曲第九番 二短調 作品125《合唱》
誰でもが知っているあの、4楽章に合唱「喜びの歌」がついている交響曲です。
喜びの歌(歓喜の歌とも)ドイツ語でAn die Freude/アン・ディー・フロイデ
歌詞は、シラーの詩作品「自由賛歌」(Hymne a la liberte 1785年)が
フランス革命の直後ドイツの学生に
「ラ・マルセイエーズ」のメロディーで歌われてのを書き直し
「歓喜に寄せて」(An die Freude 1803年)にしたところ、
これをベートーベンが歌詞として引用書き直したそうです。
冒頭にバリトン歌手が独唱で歌う
“おお友よ、このような歌ではなく…”は、
ベートーヴェンが自分で考えたものであり、
シラーの原詩にはありません。
完成は1824年。
ベートーベンがシラーの詩を使おうと思い立ったのが
ボン時代といいますから、30年あまりかけた労作になります。
(ブラームスの交響曲は20年だっけ?)
ベートーベンさん。
第九の構想を練って、頭が熱くなると、水をかぶって歩き回ったそうで、
「水も滴る いい男」というより、知らない人には変人に見られたそうです。
バーデン(ウィーンからちょっと離れた町)で警官に見とがめられて、留置所に入れられ、ウィーンから証人がくるまで、
留置所の中で「私はベートーベンだ!悪い人間ではない!」とわめき続けたとか・・・
「初演はベルリンでやる!」と駄々こねたベートーベンに
ウィーンの貴族や友人出版社が連盟の請願書をベートーベンに届け、
結局、ウィーンのケルントナートール劇場で初演されました。
この請願書には貴族の名前に連なって、
ツェルニー(ピアノ弾きには練習曲でおなじみ)やディアベリの名前もあったとか。
そういえば、ベルリンの壁が崩壊した直後、
1989年12月25日にレナード・バーンスタイン指揮の野外コンサートが行われましたね。
バイエルン放送交響楽団を中心に、
東西ドイツとアメリカ、イギリス、フランス、(当時)ソ連の6ヶ国から
有志を募って混成オーケストラを臨時編成し、
ベルリンでも伝統のあるコンサートホールであるシャウシュピールハウスで
交響曲第9番を演奏して、東西ドイツの融和を祝ったそうです。
この時は“Freude”(よろこび)を“Freiheit”(自由)に置き換えて歌ったことが大きな話題になりました。
(再統一は翌年の1990年10月3日)
そのときのDVDはこちらアマゾンにあります。
ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 作品125
バーンスタイン氏は統一を見届けたかのように1990年10月14日に神に召されました。
話はもどって、ベートーベン先生。
第九の練習を始めたら、オケ部分はものすごい難しさ。
中でも歌手たちは拷問に近かったようで、
「ソプラノだって、こんな音でません」
「のどが壊れてしまう」
「バスの歌い手でこんな音の出せるものはいない」
と、書き換えを求めたけれど、
「私はそまつなのどに合わせて曲を書いているのではない」と
受け付けなかったそうです。
スコアを確認したい方→スコア ベートーベン 交響曲第9番「合唱付」 ニ短調 作品125
初演はベートーベン指揮(もちろんコンマスと楽団長が助けた)で大成功。
耳の聞こえなかったベートーベンは「心の耳」で指揮をしたのだとの事。
聴衆の拍手が聞こえなかったベートーベンの袖をひっぱって気がつかせたのは、アルトを歌ったウンガー嬢。
人々は耳の聞こえないベートーベンに解かるように、ハンカチや帽子を振ったそうです。
初演1824年5月7日 いまから、182年ほど前のことです。
考えていましたが・・・
やはり、師匠も走る師走といえば、
「第九」ですよね。
これは、日本だけの現象?でしょうか?
ウィーンで年末に「第九」は聴いたことなかったです。
もっとも、オペラハウスに入り浸っていましたから・・・
よく12月に聴いたのは歌劇シュトラウスの「こうもり」
この話は、また今度ゆっくり・・・
第九のお話です。
ベートーベンの交響曲第九番 二短調 作品125《合唱》
誰でもが知っているあの、4楽章に合唱「喜びの歌」がついている交響曲です。
喜びの歌(歓喜の歌とも)ドイツ語でAn die Freude/アン・ディー・フロイデ
歌詞は、シラーの詩作品「自由賛歌」(Hymne a la liberte 1785年)が
フランス革命の直後ドイツの学生に
「ラ・マルセイエーズ」のメロディーで歌われてのを書き直し
「歓喜に寄せて」(An die Freude 1803年)にしたところ、
これをベートーベンが歌詞として引用書き直したそうです。
冒頭にバリトン歌手が独唱で歌う
“おお友よ、このような歌ではなく…”は、
ベートーヴェンが自分で考えたものであり、
シラーの原詩にはありません。
完成は1824年。
ベートーベンがシラーの詩を使おうと思い立ったのが
ボン時代といいますから、30年あまりかけた労作になります。
(ブラームスの交響曲は20年だっけ?)
ベートーベンさん。
第九の構想を練って、頭が熱くなると、水をかぶって歩き回ったそうで、
「水も滴る いい男」というより、知らない人には変人に見られたそうです。
バーデン(ウィーンからちょっと離れた町)で警官に見とがめられて、留置所に入れられ、ウィーンから証人がくるまで、
留置所の中で「私はベートーベンだ!悪い人間ではない!」とわめき続けたとか・・・
「初演はベルリンでやる!」と駄々こねたベートーベンに
ウィーンの貴族や友人出版社が連盟の請願書をベートーベンに届け、
結局、ウィーンのケルントナートール劇場で初演されました。
この請願書には貴族の名前に連なって、
ツェルニー(ピアノ弾きには練習曲でおなじみ)やディアベリの名前もあったとか。
そういえば、ベルリンの壁が崩壊した直後、
1989年12月25日にレナード・バーンスタイン指揮の野外コンサートが行われましたね。
バイエルン放送交響楽団を中心に、
東西ドイツとアメリカ、イギリス、フランス、(当時)ソ連の6ヶ国から
有志を募って混成オーケストラを臨時編成し、
ベルリンでも伝統のあるコンサートホールであるシャウシュピールハウスで
交響曲第9番を演奏して、東西ドイツの融和を祝ったそうです。
この時は“Freude”(よろこび)を“Freiheit”(自由)に置き換えて歌ったことが大きな話題になりました。
(再統一は翌年の1990年10月3日)
そのときのDVDはこちらアマゾンにあります。
ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 作品125
バーンスタイン氏は統一を見届けたかのように1990年10月14日に神に召されました。
話はもどって、ベートーベン先生。
第九の練習を始めたら、オケ部分はものすごい難しさ。
中でも歌手たちは拷問に近かったようで、
「ソプラノだって、こんな音でません」
「のどが壊れてしまう」
「バスの歌い手でこんな音の出せるものはいない」
と、書き換えを求めたけれど、
「私はそまつなのどに合わせて曲を書いているのではない」と
受け付けなかったそうです。
スコアを確認したい方→スコア ベートーベン 交響曲第9番「合唱付」 ニ短調 作品125
初演はベートーベン指揮(もちろんコンマスと楽団長が助けた)で大成功。
耳の聞こえなかったベートーベンは「心の耳」で指揮をしたのだとの事。
聴衆の拍手が聞こえなかったベートーベンの袖をひっぱって気がつかせたのは、アルトを歌ったウンガー嬢。
人々は耳の聞こえないベートーベンに解かるように、ハンカチや帽子を振ったそうです。
初演1824年5月7日 いまから、182年ほど前のことです。
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